中学校へ入学して柔道をやった。

子供たちを持ち

先生方もやさしく言ってくださるのに。ですから、どのような
年齢で、ですどのように扱いにくい状態が現れるかについては、とくに知っていることが大切すでに述べたように、子どもは、きょうだいにしても友達にしても、けんかをしながらだんだんに仲のよい面を増していくことを知っていれば、けんかを楽しみに見ていることができるでしょうし、そうでなくとも、致し方ないこととしてがまんすることはできるはずです。いたずらもまた、子どもの発達には必要なものだということを知っていれば、いたずらをされて困った状況が起きても、叱り方が全くちがってくるでしょう。
大人になると、とくに母親になると、一日を無事に終えることを期待するようになります。平穏な家庭ということを望むのでしょうが、発達途上にある子どもは、平穏無事を望みません。

母さんねえコイモドリっていっているのだめなのに。

絶えず変化を求めている-といってもよいでしょう。泥んこになって帰ってくるでしょう。けがをしてかつぎ込まれることもあるでしょう。子どもにかかりやすい伝染病の感染を受けることもあります。変化の激しい子どもは、それだけいきいきとした活動をしていると言えるのです。家の中ばかりにいて、長時間にわたってテレビを見ている子どもは、母親にとっては平穏無事な子どもですが、心身ともに自発的な活動が停滞してしまっている恐ろしい子どもだというべきでしょう。
子どもといっしょに遊ぶことの大切さ子どもを理解するためのもう一つの基盤は、子どもとともに生活して楽しい場面を作り出すことです。それはむしろ、家庭生活のいろいろな場面で見つかるでしょう。そこにはいきいきとした対話があるものです。母と子のよい対話というのは、話がはずむ!ということです。母親の方からさかんに話しかけても、子どもがうるさがるのは、そこに楽しい雰囲気がないばかりか、母親のあせりや不安が現れているからです子どもとともにいて楽しい場面は、第一に、子どもの遊びの場面の中へお母さんが参加することによって作られます。子どもはママの言動にとても敏感です。

母さんとの間であいさつの仕方がちがっている

子どものさまざまな生活実践の中ただし、その場合には、母親としての立場を捨てて、子どもの心になり切る努力が必要です。子どもの心になる-ということはなかなかむずかしいのですが、子どもの行動に対して批判をしたり注意を与えないことが大切であり、はめを外すことが楽しめるようになることです。その点で、お母さんが幼い頃に茶目っ気が多かったり、いたずらつ子であったという方は、それを思い出してさえ下されば、子どもと楽しく遊ぶことができるでしょう。子どもの頃、優等生であったりまじめであったというお母さんは、それにまつわる誇りを捨てないと、子どもと楽しく遊ぶことはできないでしようわれわれは毎夏、小学校1年から四年生の男女六0名前後を連れて、高原で六泊七日の合宿をしています。

子どもをつくる

しつけである。
三十年間も続いたのは、私自身が子どもとともに遊ぶことの楽しさを味わうことができたからです。この合宿には、日課もないし、守るべき規則もないのです。
子どもがどのように行動しても、それを受容しますから、一切叱ることはありません。いたずらも充分にしますし、格闘もしますし、風呂場も遊び場です。ですから、子どもたちは抑圧されていた心を解放することができますし、それによって自分の中にかくされていた子どもらしさを認識することができるのです。エッチな遊びもしますが、それは決して大人のようなエッチな心から発しているものでないのですから、安心してそれを見ていることができます私自身、子どもたちからひらめというアダ名をつけられましたが、先生と呼ばれなくなったことは、子どもの心になって子どもとつき合い、子どもの心をそのままに受け取ることができるようになったという意味で、大へんな収穫でした。
子どもの気持においてというより親の態度がですよ。

学校の科目としてやる

ですから、楽しいの
です。これが先生と呼ばれ、子どもの行動をいつも監視しているような立場に立たされたり、いつも何かに注意をしていなければならない条件の中におかれたのでは、決して子どもの心が伝わって来なかったでしょう。
お母さんにそれを全面的に実現してほしいというのは無理ですが、生活のいろいろな場面で遊びのきっかけを作ることができます。風呂の中で遊ぶということも、その一つでしょう。入浴の目的は、お母さんにとっては清潔と保温ですが、子どもにとってはそうした考え方はなく、
水の遊びです。

学校行事に出ておもしろくない話ばかり聞かされて。

勉強が進むなど
その遊びをどのように実現したらよいかれの家庭の事情もありましょうが遊びの許容範囲をひろげることが大切ですそれぞ夕飯の支度をしているときに子どもが寄ってきたときにも、うるさいねとかあとでと言って拒否しないで、この油の手がつくぞとかここのところを手伝ってよなどなど、遊びを展開する工夫によって、そこには明るい雰囲気が作り出されるのですすでに述べたように、子どもの遊びは、生活でもあり学習でもあるのです。さあ、遊びましょうと遊びを切り離して考えることはできません。一方、仕事をしているときにも遊びが入り込んできます。掃除をしていて片付けをしていても、必ずといってもよいくらいに遊びが入ってきます。お母さんとしては、せっせと掃除や片付けをしてもらいたいと思うでしょうが、それは主婦の心ではあっても、子どもの心ではないのです学習についても、書を引いてみたとき、早く答を書き込むことより、それを調べにかかるでしょう。


子どものさまざまな生活実践の中 中学校へ入学して柔道をやった。 父親なのです。