先生ではたよりない。

母さんは安心してしまって何も言わないのです。

結局、子ども一人一人が、自分はT先生から可愛がられているという確信があり、それぞれちがった面で可愛がられているということを知っていたからこそ、自閉的な子どもが先生に抱きついたときにも、その子なりの可愛がられ方をしているのだと感じたのです障害児を学級に一、二名入れて受け持つようになった最初の頃は、母親から授業が妨害されてクラスの学業成績が落ちるのではないかといった非難があったそうです。
育てる一人遊び

母さんを手伝ってしまったりして。
母さんを手伝ってしまったりして。
大学に進めるのかといったことも決
大学に進めるのかといったことも決


母親が多いけれど

母は孫がかわいいのでしょう。

このような非難があると、それを理由にお母さん方がうるさいからと言ってそのような子どもを追い出したり入級させない教師が少なくないのが現状です。母親と教師とがいっしょになって障害児を締め出していることさえもあります
しかし、T先生の場合には、母親からの非難があっても、妨害になっているかどうかを、お子さんにきいてみてくださいと答えているのです。子どもからの母親に対する答は可愛い子だよちっとも邪魔になんかならないよと言うのです。この答は1先生が子どもたちに教えたのではありません。子どもたちが実感を言っているだけなのです。そう言われた母親は、T先生を信頼するよりほかはなく、その信頼が積み重なって、非難は全く起きなくなりました。自分の子どももきちっと先生に可愛がられているのだ!という安心感があるからです。
障害児がいると授業の妨げになるではないか-という親の発言は、その背後には、いつも、自分本位な心が動いています。クラスの子どもたちが妨害されると言いますが自分の子が……ということに過ぎないのです。

学校でもものを投げつけるような行動が見え

母親は語ってくれました。そのような親に対して、正しい子どもの見方を教えるために、教師は努力する必要があります。それには、本当に子どもを可愛がっていることが前提になります。
先生が悪かったという一言教師と子どもとの人間関係は、教師が子どもを可愛がることから始まることは、どの教どういうことなのでしょ師も知っていることです。
うかしかし、可愛がる-ということは、あなたは、本当に一人一人の子どもを可愛がっていますかと質問されたときに、どのように考えるでしょうか。それを考える際に、クラスの子ども一人一人の顔を思い浮かべて、
本当に可愛がっている子どもだろうか?と自分の心に問いただしてみることが必要ですY先生は「職員室でいろいろなことがあると、そのあとすぐに子どもたちのところへ行って、子どもたちと話をしたり遊んだりしていると、すっかり心のしこりがとれるのです。
子どものころについたリズム母親がそれを許してきたのが問題子どもって、本当に有難い存在です」と話してくれました。本当に子どもが好きなのです。子どもが好きだから教師になった-とも言っていました。s先生も、「私はいつも子どもの代弁者になりたい。子どもの気持の持ち方や性質がちがうから、それぞれの子どもの代弁者になる努力が必要です」と話してくれましたこのような教師を、子どもたちは待ち望んでいます。慕っています。学年末になるとその教師と別れるのを悲しみます。教師の人格像は、一生の間、心に残るもので、その教師像が忘れられずに教員を志望するようになった者もあるほどです私にも、忘れ得ぬ思い出があります。それは小学校三年生のときでした。家庭にごたごたがあったのです。母親が大病で入院し、父もその看護で留守勝ちでした。

先生がおっしゃる。

私たちの面倒を見てくれる人が次々に代り、落ちつきのない不安な日々でしたから、学校に行ってもぼんやりとしていたり、友達とけんかをしたり、突発な行動をしました。そのために、先生から立たされたり竹の棒で叩かれたりしたのです。
一カ月たった頃、放課後に、先生は私をひとり残されました。私は、また怒られるのかなーとびくびくして先生の机の横に立ったのです。そのときに先生が言われた言葉は何であったか。「君のお母さんは病気だったのだね。
学校側の四角四面な規律の強調


母乳語と離乳語がチャンポンになる。

子供は好奇心が旺盛なのでお父さんだから君は心配していたのだね。それを先生が叱って、悪かった。ごめんね」という言葉だったのです。その日のことは、まざまざとおぼえています。半世紀以上たっても忘れ得ぬ思い出になっているのです。
可愛がる-ということは、子ども一人一人の立場に立ち、子ども一人一人の気持になってみることです。これを受容とも共感とも呼んでいます。子どもを受容するためには、子どもの生活や家庭的背景についてよく知っていることも、一つの大切な条件
です。それ故、教師から問題行動のある子どもについての相談を受けたときに、私は、その子どもの生活と家庭的背景について質問してみることになります。ところが、それらについて熟知している教師は、意外にも少ないのに驚かされます。子どもは家庭を背負って学校にやってきます。家庭に何かがあると、その不安や不満を学校場面で現すことがあります。