子どもに見本を見せていけばいいのです。

子供を社会に送り出すため

そうなると、子ども自身で惰性で買っていたような雑誌などはやめて、別の計画を立て、それを予算に盛り込むことができるようになり、その中のいくらかを貯金しておいて、大きなものを買うことを考えるようになります。そのような努力が始まれば、誕生日とかクリスマスや正月に、両親が援助資金を出してあげる約束をするとが、貯金へのはげみとなるものです。
以上のようにしてお小遣いを与え、きな意義が発揮されるものです。
金銭教育をすることによって、人格形成に非常に大
子どもは小さな大人
ではない子どもにお手伝いの機会を与えようお手伝いとは、どういうことなのでしょうか。
子どもにどのようなお手伝いをしてもらっていますか-と質問したときに、お母さんはどのようにお答えになるでしょうか。
近頃の子どもの多くは、お手伝いをしていません。両親にもそれをさせる気持が少なくなっていますし、また、お手伝いさせる部分が非常に少なくなっています。

育てたお花だ子どものままがいいな大人になんてなりたくない結局は、お手伝いをしていないのです昔の子どもは、必ずといってもいいくらいにお手伝いをしていました。第一には、子どもに手伝いをしてもらわなくては、家庭が運営できなかったからです。お母さんが非常に忙しかったので、子どもの手を借りなければならなかったのです。朝の玄関はきは、子どもの役割でした。夕方の買物には子どもをよく駆り出しました。子守りもさせられました。
その背後には貧しさがありました。子宝という言葉の中にも、子どもを労働源とすることができる-という意味も含められていました。また、親の自由に子どもを使うことができるという思想もありました。
そのこともあって、終戦後に、子どもの権利が重要視されるに及んで、親の思いのままに子どもを使うことが好ましくないように言われたのも、当然のことと言えましょう。しかし、それとともに、子どもにお手伝いの機会を与えること自体が好ましくないように思う親がふえたのです。
お手伝いの機会を与えるに当たって、昔のように、親の権力で子どもを勝手に使うような考え方があれば、好ましくありません。

 

子どもには思いやりの少

しかし、家庭の運営を円滑にするために、子どもにも役割を持ってもらうことは、子どもに責任感を養うのに非常に重要な意義をもっていますし、労働に参加する楽しみを味わうことができれば最高です。それによって感謝されることをも学習します。
ですから、子どもにはその年齢に応じて、それに見合ったお手伝いの機会を与えることが必要です。ところが、家庭生活の近代化、合理化によって、お手伝いをする部分が非常に少なくなってしまいました。玄関はきも、アパートの玄関などは非常に狭いために、労働に値しません。私などは、小学校時代に風呂焚きを課せられましたが、現在はガスの栓をひねれば湯が沸いてしまいます。子供に対しても毅然と接することができるはずです。買物を頼もうにも、交通事故が心配で、お使いに出す決心がなかなかつきません。結局は、何らお手伝いの機会を与えていないという家庭が多いのではないでしょうか。
中には、お手伝いをする時間があるなら、勉強をしてもらいたいというお母さんもありますし、その数は少なくないと言われています。また、お母さん自身にも家事が少なくなテレビを見ている時間が多くなったので、子どもに用事を頼むのも気がひけるという事情もあります。
子どもにお手伝いをしてもらう迫力はないでしょう。
その点で、私が西ドイツに滞在していたときに、友人の家庭で学んだことがあります。
その家庭では、食事をしたあとの片付けは、家族の皆でするのです。自分で使った食器はそれぞれの子どもが自分で台所へ運んでいました。幼児もそれに参加していました。

    1. 教育の一つです。
    1. 子ども自身に考えさせましょう。
    1. 父親が積極的

子育てをする気のない親

「食器を壊されることもあるが、それよりも労働に参加することの方がはるかに重要なことです」と母親は言っていました。台所に運ばれた食器を洗うのは、父親の役割になっていました。子どもたちは、食器を拭く役割をもっていました。お母さんは食器を戸棚にきちん
と整頓する役割を持っていました。楽しく歌を歌いながら、二十分内外で後片付けは終わってしまいました。そのあと三十分ぐらいを、家族の皆でトランプやドミノをして遊びます。その後、子どもは子ども部屋に入って勉強です。
わが国の家庭では、いませんか。
先生が引き受けて

子どもの上に覆いかぶさってしまう。

食器を片付けるのも洗うのも拭くのも、みな母親の役割になっては台所でがちゃがちゃと食器の音をさせながら、大きな声で勉強しなさいよ宿題はないのと怒鳴っているお母さんの姿がそこここに見られます。それが毎日のことなので、子どもはお母さんの言うことをいい加減にあしらうようになっている場合が少なくありません。それに対して、お母さんはさらに腹を立てているのですから、家庭の団欒などはどこかへ飛んでしまい、絶えずがたがたとした家庭になっています年齢にふさわしいお手伝いを子どもに与えるお手伝いの内容も、それをすればあとに楽しさが待っているものであれば、いっそう張合いのあるものになりましょう。そのような種類のお手伝いを見つけ出すことが、非常に大切になります。しかも、毎日続けられるものを考えてみなければなりません。
あるお母さんは、長女が小学校1年生になると間もなく、朝飯の仕度をさせました。


子どものままがいいな大人になんてなりたくない 母さんこそ全然素直じゃないんだ 大学へ行く