子どもは自分で深く確かめる。

しつけはもっと徹底したい。

教師や友達に対して、好ましくなぃ行動を示すことになってしまうのです。それについて教師から冷たい叱責を受けたのでは、ダブルパンチを受けるようなもの。子どもの不安や不満はいっそう深刻なものになるでしょう。
ですから、とくに気になるような行動を現している子どもについては、叱責や訓戒を行う前に家庭環境について認識を深めることが大切です。母親と面接するなりして、家庭の状況をきいてみますと、子どもの不安の原因がはっきりしてくることが多いものです。そうなれば、叱責するどころではありません。冷たくなってきている子どもの心を温めてあげなければならないのです。心を温めるには時間が必要ですが、それによって子どもの不安は少なくなり、それとともに気になっていた行動も次第に消えていくのです。
先生ではたよりない。

しつけは幼いうちにしたほうが効果があるのです。
しつけは幼いうちにしたほうが効果があるのです。
子どもはハイと言え
子どもはハイと言え


母さんにはご迷惑をかけないよう

母さんは内心

二年生の男の子は、何かにつけて友達を打ったり蹴ったりしました。それを叱った教師を白い眼で見るのです。いくら叱っても注意してもやめません。そこで、母親と面接をしてみますと、その子が三歳になるまで仕事をしており、その間他人に預けることが多くドの子ができて仕事をやめたのですが、その子とはしっくりいかなくなっていたのです。
冷たい子ですと母親は言いました。結局は、その子を可愛く思えないという母親に原因がありました。妹の方は可愛く思えるのに歳以下の子どものときに、母親との具体的で緊密な関係が作られていないと、それ以後に母親自身で育てることになっても、しっくりしないという例です。
近頃、このような例がふえています。
三教師の助言によって、身体接触から始めることにしました。ひざの上に抱くことを多くしたのみでなく、添い寝もしてみたのです。

子どもを急がせていませんか。

子どもの象徴だっそれが今その結果、子どもの可愛さがわかるとともに当然、養育態度も変わってきましたから、子どもの心は安定し、学校での扱いにくい行動も次第に少なくなり、にこにことして友達と遊び、教師の注意をも受け入れる子どもに変わったのです。
子ども一人一人を理解し、そのよさを認める努力をするとともに、とくに扱いにくい子どもについては、子どもの心を汲んで根本的な対策を立てる努力をすることが、子どもの行動を変えることになるのです。それはなかなか面倒なことでありますが、しかし面倒をも乗り越えて、子どものために努力する教師は、子どもの心に感動を与えるものなのです

先生のウソつきと言われたときに謙虚な教師になってほしい教師は、子どもの前に謙虚でなければなりません。子どもたちを教育するという役割を担ってはいますが、子どもから教えられることがたくさんにあります。子どもの声によく耳を傾ける必要があります。禅のことばに、三尺の童子を拝すとあるのも、このことを示していると思います。子どもとよくつき合ってみると、ハッとさせられる真実にぶつかることがしばしばあるものです。
学習できる母親を責める図式がよくあるところが、教師となり先生と呼ばれる立場におかれると、子どもが弱者であるだけに、いつの間にか傲慢な心の持ち主になってしまっていることがあります。それは、子どもたちが先生にていねいにお辞儀をしているのに、先生は
頭が高いことに現れています。先生のお辞儀の仕方がぞんざいであることが少なくないのです。頭の高い教師は、明治以来の三歩下がって師の影を踏まずといった古い教師像を身につけているのです。
民主的な心を持っていないのです。子どもにお辞儀のしつけをする以上、子どもに対しても正しくお辞儀をして、敬意を表しなければならないことは言うまでもないことです。
現在の教育制度の中では、子どもも親も、教師を選ぶことができません。あてがいぶちです。教師を選ぶことができれば、当然、教師の人格を慕うことになりますから、師の影を踏まずということも起こりますところが、人格の未熟な教師が担任となることもしばしばです。

経験は楽しく豊かにしてくれるでしょう。

それだけに、謙虚でなければならないのですが、人格の未熟な教師ほど、子どもや親に対して威張ります。威張るということが、すなわち人格の未熟さを示していることなのです。

教師は嘘ばかりついているように思えてならなかったとは、岡本太郎先生のことばです。岡本先生と対談していて、ハッとさせられたことばです。岡本先生は、悪い子として小学校1年生のときに学校を追い出されたそうです。しかし、敏感な少年岡本太郎の目には、嘘をついている教師像が映じたのです。
本当に知っていないことでも知ったような顔をして教えなければなりません。
心があってもまじめな顔をしていなければなりません。そうした教師のウソ
だけの敏感な子どもがいるのです。そうした子どもが先生に詰めよったために、い出されてしまったのです。
エッチなを見抜く学校を追先生のウソつき!と言われたときには、ハッとしなければならないでしょう。
母さんいつも言っているでしょ


父親もいた。

教育法です。そして、ウソをついてごめんねと子どもに謝ることが、真実というものなのです。ところが、先生はなかなか謝ろうとしません。子どもよりはえらいんだという傲慢な心が、それを邪魔しているのです。教育界で長く飯をくっていると、自分でも気がつかないうちに、傲慢になったり、たくさんのウソをつくようになってしまっている-と、ある教師が述懐していました。
恐ろしいことと言わなければならないでしょう。
そのことをはっきりさせるために、自分の心の扉をちょっとだけでも開いてみることがさまざまなよくない心の動きがうず巻いているのに気付くでしょう。そうした心の動きを見たくないために、しっかりと心の扉を閉ざしているのが教師ではないでしょうか。むしろ、心の扉を開くのが恐ろしいために、それを閉ざしているとも言えましょう。たまたま、アルコールが入ると、それが迸り出てくることがあります。キャバレーの女の子が、「先生と大切です。