教育から始めるべきだと思うんです。

子供にとっていま必要

動物は可愛い!そうした動物を可愛く思う心を大切にするという意味があります植物は花を咲かせて美しく、葉の緑もまた、心をなごませてくれますから、自然に触れるということが、美しさに感動する心を養うのに役立つでしょう。また、動物にせよ植物にせよ、その生態について具体的な体験をすることは、科学する心を育てるにも有効であるかも知れません。
しかし、そうしたことが、本当かどうか--もう一度考えてみる必要があります。
第一に、動物の飼育にせよ、植物の栽培にせよ、毎日毎日欠かすことができない営みであるということを充分に考慮しなければなりません。
父親のその厳

動物には、毎日餌を与えなければ死んでしまいます。植物にも水を与えなければ、枯れてしまいます。毎日欠かすことのできない営みであるだけに、それだけの覚悟がいります。ですからお母さんも、毎日きちっと餌を与えるなら、飼ってもいいと子どもと約束をするでしょう。とくに、動物に餌を与えることに飽きて、子どもが放り出してしまった後始末をしなければならなくなったというような経験をしたことのあるお母さんは、いっそう強い言葉で念を押すでしょう。それに対して、きまってちゃんとするから飼ってもいいでしょうと答えるのは子どもですとくに、欲しいとなるとそれに夢中になる子どもは、必ずするよと言って確約をするものですその約束をきちっと履行して、毎日欠かさずに餌を与えたり水を与えたりする子どもの場合には、それにまかせておいてよいわけですが、約束を守らずに飽きてきたときの対策をどのようにするかを、あらかじめ考えておく必要があります。

子供でしょう。

  • 子供を叱るのでしょうか。
  • 父親がカッとなって
  • 母さんがふぇ


成長の途上にあるものとして


子ども自そして

何人かの両親は、子どもが怠け出しても、絶対に手伝わない方針を確立しました。しかし、生き物のことです。それによって弱ったらどうするかについても考えておかなくてはなりません。死んでしまったり、枯れてしまうかも知れません。そのときにどうしたらよいかについても考えておく必要があるのです。その点について、両親が話し合った結果大人であればこれまでの経験から結果を予測することができても、子どもには結果を予測する力はありません。
子どもの意識に大まじめに働き

子供の目にも好ましく映ることでしょう。

そこで、動物には可哀相だけれども、ぎりぎりの線まで両親が手を出さずに、あくまでも子どもに責任を負わせて様子を見ることにしよう-ということになりました。
ある両親の場合は、対象が金魚でした。遂に金魚は弱り始めました。あっぷあっぷしたりしてあえいでいる金魚を見て、両親はそれを子どもに告げました。金魚が死にそうだ
と。子どもは驚いてその様子を見に行きました。どうしたらよいだろうということになり、すぐに金魚屋に行ってその対策をきくように命じました。子どもは飛んで行きましたが金魚屋から怠慢を叱られたということです。そして指示通りに、金魚につきっきりで世話した結果、次第に元気を取り戻したのです。


教育のあり方なのですですから親

母さん大恥かいたわ

ほっとしたような表情の子ども。そして、その顔には怠慢を悔いる心があふれていました。その後は、ほとんど飼育を怠ることがなくなったのです。やはり、失敗という体験を経て、洞察ということを学びますじゅうしまっある両親の例は、十姉妹小鳥のつがいでした。とうとう、箱の中で1羽死んでいる姿を見ることになってしまいました。殺してしまったのです。あの可愛い小鳥を殺したのは誰でしょう。子どもはその死骸を見て、非常に後悔したのです。そして、死んだ一羽に対して、丁寧にお墓を作りましたし、残った一羽に対して熱心に飼育するようになったので
す。
子どもは群


母親というすばらしい仕事

両親はその結果をみて、小鳥は一羽になって淋しいだろうねという子どもの言葉をきっかけに、もう一羽を加えてあげたそうです。子どもは、ほっとした表情をしていたということです。
動物には生命があるので、子どもは怠け始めると、ついお母さんが飼育することになってしまいます。それをしている限りは、子どもには洞察力が生じません。飼い始めるときばかり調子のいいことを言って、結局はいい加減な人格の子どもにしてしまっているのです。責任を持たせる以上、責任を果せないときには、その報いが子どもに帰ってくるような筋道を考えておかなければならないのです。