母さんこそ全然素直じゃないんだ

勉強もこの離乳語で進められる

大勢の人々のいるところで、他人に迷惑をかけないこと、それ以上に、他人に親切をつくすことこれが公衆道徳の内容ですその点で、わが国の大人も子どもも、公衆道徳には非常に欠けていることが指摘されてきました。家庭を一歩出ると、他人のことにおかまいなしに行動することが言われています。道路に出れば、紙屑を捨てるばかりでなく、痰やつばを吐くのです。立小便も見られます。道路がきたなくなるばかりか、衛生上不潔にもなるのですからたまりません。公園へ行きますと、紙や食べ物の残骸をそのままにしていくだけでなく、入ってはいけないとされている芝地に入って芝を傷めたり、木の枝を折ったり、草花を持ち帰ったりすることさえもあります。それは、子どもばかりでなく、大人たちが悪い手本を示しているのです一つのものを分かち合う心乗物の中でも、紙を散らす人は少なくありませんし、つばを吐いて靴でこする人さえも残っています。

体験でいう子どもの問題が表面化する頃には駄々つ子の芽はす乗物の中で、とくに列車の中では、大きな声で談笑するのも、わが国独特の光景でしょう。それらは、飲酒によって誘発されることが少なくありません。欧米人にとっては、列車の中で酒を飲み、大きな声で話し合うということは、思いもよらないことでしょう。中には、客にからむ酔っぱらいも出てきます。西ドイツの市電に酔っぱらいが乗って来たときに、車掌がつまみ出してしまったことが脳裡に残っています。他人の迷惑になる行為を容赦なく許さないのです。
子どもたちの列車の中の姿はどうでしよう。赤ちゃんの泣き声に困ったという経験の持ち主も少なくないでしょう。わが国では、赤ちゃんを長距離の乗物に乗せるときの心構えができていないために、乗り合わせた客に迷惑がかかってしまうのです。二、三歳の子どもになると、駄々をこね始めると、その甲高い泣き声に、せっかくの旅も妨げられてしまいます。騒音公害とも言えるでしょう。ふだんのしつけが悪いのに、どうにも仕方がないという顔つきをしているお母さんもあります。子ども連れと隣り合わせるとがっかりすると言っていた友人があります。

 

しつけをあれこれ言う

四、五歳の子どもになりますと、列車の通路をかけ回ってきゃあきゃあ言い、他のお客さんにしかめっ面をさせている子どもがいます。しかし、母親も父親も何にも言わないばかりか、自分たちは、ぐうぐう寝ているということさえもあります。欧米ならば、必ずといってもよいくらい、子どもに静かにしなさいと注意するでしょう。両親に警告する人が出てくるでしょう。ところがわが国では、子どものすることだから、何とも致し方がないといったあきらめムードです。
座席の占領はお手のものです。先日も四、五歳の子どもを窓側に座らせ、母親は通路側の肘かけに肘をついて居眠りを装い、二人の間にはハンドバッグがおいてあるという光景に接しました。子どもには切符がないのに、一人前の座席を与えています。教育者から受けているのであってしかも、次第に混んできて、立っている人が多くなったにもかかわらず、ハンドバッグをどけようともしないのです。全く他人に対する思いやりのない母親です。家族エゴイズムの現れです
そのような母親の多い中で、先日、うれしい光景に出会いました。少し混んできますとすぐに子どもを窓際に立たせて、自分もその方に寄り、一つの座席をあけた父親があったのです。ますます混んできますと、三人掛けにしましょうと提案したのも、その父親でした。お互いにきゅうくつはするが、一つのものを皆で分かち合おうという思いやりの心の現れでした近距離の電車の中で、混んできても、自分だけはゆっくりと座っていこうという人は少なくありません。席を少し移動してほしいと注文すると、初めて気がつき、いさぎよく席を作ってくれる人もありますが、さもいやそうに、しぶしぶと席を移動する人さえもあるのです。

    1. 子どもはこのときウルトラマンになりきっている。
    1. しつけることはこどもを正しく愛する
    1. 子どもは親

子どもにはこういう話

自己中心的な大人というより他はないでしょう。わがままなまま、大人になった人です乗物に乗る順番を守って列を作っている人の中に、子どもを割り込ませるのは、女性に目立ちます。そして、先に乗り込ませて、自分の席を子どもに確保してもらうという算段です。これが、席泥棒であることに気付いていないほど、自己中心的であり家族中心的であり、他の人々のことをかまわないのです。もし欧米であれば、自分の子どもが順番を守らないようなことをしたら、恥ずかしい行為として、親は叱ることでしょう。わが国では自分の子どもが他人から注意されると、怒ったような顔をする両親が何と多いことでしょう。余計な世話を焼かないでほしいと言うでしょう。子どもの行為が公衆に迷惑をかけていることには気がつかず、子どもを溺愛しているのです一時、幼い子どもを自分のひざの上に座らせているお母さんがふぇましたが、近頃はまた、靴をはいたまま窓外を眺めさせている光景がふえています。
先生に言われた言葉が忘れられない

子どもは値上げをしてほしいとき

靴のよごれが隣の客にっくのもおかまいなしということです。また座席も一人前を独占しているのですから、公衆道徳に反します欧米では全く見られない光景です。どうしてこのちがいが起きるのでしょうか。それは、子どもの欲求にそのまま従っているか、それに負けてしまっている親だからです。つまり、子どもを溺愛しているのです。ですから、子どもは自己中心的です。わがままです。
このわがままをだんだんになおしていかねばなりません。
わが国の大人たちの公衆道徳の欠如は、長い間の家族制度と、封建制度によって作られたものが多いのです。民主主義が建前になったとはいえ、本音は前の時代のものがたくさんにあります。本音をかえなければなりません。


子どもの問題が表面化する頃には駄々つ子の芽はす 子どもに見本を見せていけばいいのです。 子どもの問題が表面化する頃には駄々つ子の芽はす